1934年の函館大火で被災したロシア人のこと
神戸震災の悲惨な光景はまだ記憶に新しいところですが、1934年 3月21日、函館に同じような地獄絵が広がりました。1930年の国勢調査では、函館は関東以北で人口第1位、全国でも10番目という大都市でした。そこに発生した火事は、異常に発達した低気圧からの風で、ついに全市の三分の一を焼き尽くし、2,166 人の死者が出て、被害総額は12億 4千万円にのぼったのです。世界中の新聞が「日本の港町が灰となった」と伝えるほどの事件でした。当時、市内の外国人は200 人以上、その中には「旧露国人」の姿もありました。『函館大火災害誌』(昭和12年刊)によれば、外国人罹災者は86名で、「旧露国人」については以下のように記されています。
職業 世帯主名 家族数(男・女) 飲食店業 コジマ ラデイオーノウチ ズウエーレフ 6(男3女3) 洋服行商 アガフオン イワーノウイチ ルースキフ 1(男) 同 ダニイル ステパーノウイチ カザンツエフ 1(男) パン焼職人 ニコライ ペトローウイチ ザトーロフ 1(男) 女中 エフロシーニヤ ヤコウシウナ トンキフ 1(女) 日雇 ナデージダ ステパーノウチ ミリコーカ 1(男) このうち、ズウエーレフは市内の繁華街松風町で「ボルガ」という喫茶店を経営し、北海道露国移民協会の会員になっていました。1944年に、スパイ容疑で投獄され獄死したことがわかっています。ルースキフも同協会の会員であり、函館駅近くの若松町に住んでいました。またカザンツエフは、このあと日本人と結婚し、青森で暮らしたことが青森市の工藤朝彦氏によって明らかにされています。
ザトーロフとトンキフについては、よくわかりません。ミリコーカは、ナデージダと女 性の名前に、男性の父称を持ち、性別は男性と混乱していますが、外務省の資料から、女性であることがわかりました。ニコラエフスクに住んでいたのが、函館在住のロシア語通訳の男性と知り合い、来函したのでした。みんな外国で災害に巻き込まれ、どれほど心細かったことでしょう。
ちなみに「ソ連邦人」では男女 4人ずつ 8人が罹災しています。漁業会社関係者とその家族でした。こんな時でもロシア人は「赤」と「白」に区別されているのが、何ともやりきれない気持ちにさせられます。